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地球を「売り物」にする人たち
 マッケンジー・ファンク著「地球を売り物にする人たち」を読んだ。気候変動が確信的になっても人類は早急にそれを止めることなく何をしているのか―本書がそれを探る過程で人間の本性をあぶりだした結果、自己保存と目先の利益を追い求める「共有地の悲劇」と「現在志向バイアス」の物語となった。

気候変動ほど大規模で普遍的な出来事が、悪いことばかりであるはずがない。そこには途方もないビジネスチャンスがある。本書は気候変動の「カネ」にまつわる側面をまとまったかたちで紹介している。
気候変動関連ファンド(クリーンテクやグリーンテクよりも、温暖化が進んだ時に業績が伸びそうな企業を重視)、氷が解けて開ける北極海の航路とその領有権、氷が解けることでアクセス可能になる地下資源(北極海やグリーンランドなどの石油、天然ガス、鉱物資源など)、人工雪製造、淡水化プラント、火災やハリケーンなどの保険、営利の民間消防組織(保険会社と提携し、料金を支払う人だけを守る)、水供給ビジネスや水利権取引、農地獲得(豊かな国や企業が、21世紀最初の10年間で日本の面積の2倍以上を確保)、難民の流入防止や拘束、護岸壁や防潮堤、浮遊式の建物や都市の建設、バイテク(病原体を運ぶ蚊の駆除や遺伝子組み換え農作物など)、気候工学の応用(人工降雨、太陽光を遮る成層圏シールドなど)・・・・。

これらのビジネスの問題点はそこに「不公平」があることだ。つまり儲けを手にしたり恩恵を受けたりするのは、もともと豊かで、そもそも温暖化に大きく寄与している人々であり、そのしわ寄せを受けるのは、もともと貧しく、そもそも温暖化にはたいして寄与していない人々であるという、いわば「加害者」と「被害者」の構図が存在することである。

日本は、二酸化炭素排出量や食糧低自給率による国外農地への負荷と食糧輸入時の輸送用燃料消費、ミネラルウォータの輸入、食糧輸入による外国での間接的な水消費、輸出品のための水消費などからみて、加害者の側にあることは間違いない。一方、海面上昇による土壌の塩性化、水没、洪水、高潮、津波、温暖化による農業生産への影響、デング熱やマラリアといった病気の発生、異常気象現象の多発などから被害者となる展開もある。
[2018/11/02 10:38] | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0)
現代社会はどこに向かうか
 見田宗介著「現代社会はどこに向かうか」を読んだ。人間の歴史において、古代ギリシャの哲学、仏教、儒教、古代ユダヤ教の目覚ましい展開があった「軸の時代」は、現在までの二千数百年間の人間精神の骨格をなす考え方が形成された時代であり、人間の歴史の第一の巨大な曲がり角であった。

貨幣経済と都市の原理が社会全域に浸透したのが「近代」であり、「軸の時代」とは、「近代」に至る力線の起動する時代であった。無限に発展する「近代」という原理の最後の純化形としての<情報化/消費化社会>は、それが全世界を覆いつくした(グローバリゼーション)によって、無限の発展の前提である環境と資源の両面において、地球という惑星の<有限性>と出会う。

産業革命以後、加速を重ねてきた人間の増殖率は1970年代に急激な原則に反転し、増殖の停止に至るまで減速を重ねており、人間は歴史の第二の巨大な曲がり角に入っていることを示す。
第一の曲がり角において人間は、世界の無限性を生きる思想を追求し、600年をかけてこの思想を確立してきた。現代の人間が直面するのは、環境的にも資源的にも生きる世界の有限性という真実であり、この世界の有限性を生きる思想を確立すると言う課題である。

人間の歴史はロジスチック曲線(S字形の生命曲線)における三つの局面、定常期の原始社会、爆発期の文明・近代社会、第二定常期の未来社会とそれらの過渡期である軸の時代Ⅰ、軸の時代Ⅱ(現代)で表わされる。現代社会の種々の矛盾に満ちた現象は、高度成長をなお追求し続ける感性の力線と、安定平衡期に軟着陸しようとする力線との拮抗するダイナミズムの種々相として統一的に把握できる。現代という時代の本質は、変化の急速な近代という爆発期を後に、変化の小さい安定平衡期の時代に向かって巨大な転回の局面を経験しつつあるということである。

現代という危機の時代を、もう一つの巨大な思想とシステムの創造の時代に転化することを通して、乗り越えてゆかねばならない。近代にいたる文明の成果の高みを保持したままで、高度に産業化された諸社会はこれ以上の物質的な「成長」を不要なものとして完了し、永続する幸福な安定平衡の高原として、近代の後の見晴らしを切り開くこと。だがそれは、生産と分配と流通と消費の新しい安定平衡的なシステムの確立と、個人と個人、集団と集団、社会と社会、人間と自然の間の自由に交響し互酬する関係の重層する世界の展開と、そして何よりも存在するものの輝きと存在することの至福を感受する力の開放という、幾層もの現実的な課題の克服をわれわれに要求している。

1973年と2013年の40年間における20歳代の青年の意識変化で最も大きいのは、「近代家父長制家族」のシステムとこれを支えるジェンダー関係の意識の解体というべき領域である。続いて注目される変化は、「生活満足度の増大」と「結社・闘争性の減少」ということである。青年層の著しい「保守化」と言われる現象の背景もこれらにあるとみられる。支持政党もなく選挙の有効性を信じず、政治的な活動は何もしていないという事実は、社会の深部からの構造的変容の中で、現在ある装置と方式の深い「失効」を示唆している。

20世紀型革命の破綻の構造は、次の三点に集約できる。①否定主義(とりあえず打倒!)②全体主義(三位一体という錯覚)、③手段主義(終わりよければすべてよし!)。
①否定主義は、ワイマール体制打倒を唱えたナチスやレーニンのロシア革命に見られるように、どのような社会を実現するのかという肯定性の構想なしに、とりあえずの打倒を唱導し扇動するもので、憎悪の罠から抜け出すことができない。
②全体主義は、経済システムの計画性が政治における一党支配=民主主義の否定、および思想・言論における統制=自由の否定ということを不可分に必要とすると思いこむことである。
③手段主義は、未来にある目的のために現在の生を手段とするということである。ソヴィエト共産主義のイデオロギーでは、「究極の未来」である共産主義社会は楽しく何の抑圧もない社会であるが、現在は未だ多くの現実的な障害があり、これらを打倒するために現在は「指導政党」による集中的な権力支配と思想言論の統制が必要であるとされる。

新しい世界を創造する時のわれわれの実践的な公準は、次の三つであると思われる。
 第一にpositive。肯定的であるということ。
 第二にdiverse。多様であること。
 第三にconsummatory。現在を楽しむということ。
この三つの公準を統合し、具体化したイメージの一つを提起するならば、<胚芽をつくる>ということである。新しい胚芽となる素敵な集団、素敵な関係のネットワークを、様々な場所で、様々な仕方で、至る所で発芽させ、増殖し、緩やかに連合するということである。一人の人間が一人の人間を説得すると言う地道な仕事が、やがて反核の巨大な力を形成するという人間の連鎖反応の発想を、新しい時代の見晴らしを切り開くための<解放の連鎖反応>としても置き換えることができる。

一人の人間が一年間をかけて一人だけ、本当に深く共感する友人を得ることができたとする。そして10年をかけて10だけの小さい素敵な集団か関係のネットワークがつくられる。新しい時代の「胚芽」のようなものである。次の10年にはこの10人の一人一人が同じようにして10人づつの友人を得る。この連鎖が続けば30年で1000人、50年で10万人、100年で100億人となり、世界の人類の総数を超えることになる。
[2018/10/04 16:44] | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0)
人口減少社会の未来学
 内田樹編「人口減少社会の未来学」を読んだ。本書は人口減少社会の未来についての11人の識者の考察を収録したものである。冒頭の序論で内田は、先の戦争指導層で見られたように、日本社会には最悪の事態に備えて「リスクヘッジ」をしておくという習慣がなく、そういう予測をすること自体を「敗北主義」として忌避すると言う事実を勘定に入れておかないと、適切なリスク管理はできない、人口減少社会への対処は「後退戦」であり、経済的苦境を自明の与件として受け入れ、そのうえで「低成長」「ゼロ成長」の経済システムをどうやって構築するかについての非情緒的で計量的な知性が必要と述べている。

文筆家の平川は、少子化の直接原因は晩婚化であり、政治が介入することは不可能と断じる。晩婚化の理由は、家族形態が権威主義的な大家族から、英米型の核家族へ移行したこと、および市場化の進展と密接な相関を持っていると主張している。市場化とは無縁化でもあり、人々は家族を含めた有縁の共同体から自ら進んで逃走し、その結果として、権威主義的な直系家族も解体されていった。また、消費社会の進展によって、結婚を損得で考えるというモラルが定着していった。

少子化対策として可能な政策はひとつしかない。それは結婚していなくとも子供が産める環境を作り出すこと以外にはない。婚外子率はフランス、スウェーデンが5割超、ドイツが35%に対し、日本は2.3%、韓国は1.9%である。日本や韓国の少子化対策は、結婚の奨励や子育て支援が中心だが、フランスやスウェーデンでは方向が逆で、法律婚で生まれた子供でなくとも、同等の法的保護や社会的信用が与えられるようにしている。
[2018/09/16 12:22] | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0)
R帝国
中村文則著「R帝国」を読んだ。本書は近未来世界を描いたディストピア小説である。そこでは資源や利権を求めてテロと一体化した戦争が常態となっている世界である。日本を彷彿とさせるR帝国は、1党独裁の国家党(略して”党”)が社会を牛耳っている。民主主義国家の体裁を整えるために、党の1%の議席をいくつかの野党に振り分けて、議会を成立させているが、第一野党の党首は実は”党”から密かに派遣された工作員である。

R帝国にはR教という宗教組織があり、党は統治にこれを巧妙に利用している。また、”L”と呼ばれる反政府の地下組織があり”抵抗”を続けているが、第一野党の党首がスパイとして潜入している。党は一枚岩ではなく2対8の二派にわかれて権力闘争しており、主流派は、非主流派の行政区である最北端の島嶼部をY宗国のテロ集団に攻撃させるように仕向け、当地区に住む国民もろともテロ集団をせん滅するとともに、Y宗国に対して同盟国と共に宣戦布告する。

メディアは党の情報操作の支配下にあり御用メディアと化している。ネットも党を賛美するボランティアが、反党や反政府的な投稿を監視し、徹底的に攻撃して炎上させている。一般国民は現状肯定に凝り固まり、党の情報操作に踊らされて真実を見ようとせず、半径5メートルの幸福に埋没している。一方、自由な民主主義社会を描いた小説が密かに読まれている。


これは日本の近未来を暗示していると言えよう。国民が半径5メートルの幸福に埋没し、政府の情報操作に踊らされて真実を見ようとせず、何も考えず何も行動しなければ、安倍自民党の一党独裁がR帝国の国家党独裁と同じことになる。
[2018/09/03 08:58] | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0)
知ってはいけない
 矢部宏冶著「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」を読んだ。本書は、「戦後日本」に存在する「ウラの掟」の全体像を簡明に述べたものである。それらの掟は日米政府間でなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としており、社会全体の構造を大きく歪めて「法治国家崩壊状態」が広がっている。
本書では九つのウラの掟の起源となる「日米間の隠された法的関係」の全体像を明らかにしている。

1.日本の空はすべて米軍に支配されている
 巨大な「横田空域」「岩国空域」は米軍の管理空域で、国内法の根拠は何もない。2010年に返還された「嘉手納空域」も、巨大な「米軍優先空域」が新設され、実質的に米軍支配下にある。そのほか、米軍の「低空飛行訓練ルート」が日本全土の上空に設定されている。これらは、非公開の日米合同委員会での密約に基づいており、日本の国内法(航空法特例法)で米軍機は適用除外となっている。

2.日本の国土はすべて米軍の治外法権下にある
 米軍機墜落事故では、現場周辺は米軍が黄色いロープで封鎖し、日本人の立ち入りを禁じる。事故の証拠物件は米軍が持ち去り、日本側に手渡されることはない。これは、日米合同委員会での密約「日本国の当局は、所在地のいかんを問わず米軍の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行う権利を有しない」に基づいている。

3.日本に国境はない
 「旧安保条約」⇒「行政協定」⇒「日米合同委員会」という三重構造の「安保法体系」により、アメリカは米軍を「日本国内およびその周辺」に配備できる。つまり、「国内に自由に基地を置く権利」と「そこから自由に国境を超えて他国を攻撃する権利」を有する。米軍と関係者は日本側のチェックを一切受けることなく、米軍基地経由で出入国できる。これらは、安保条約改定後も密約によって維持されている。

4.国のトップは「米軍+官僚」である
 日米合同委員会は「米軍が戦後日本において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」である。メンバーは日本側がすべて各省のエリート官僚であるのに対し、アメリカ側は、アメリカ大使館の公使一人を除いて全員が軍人であるという異常な組織である。「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。つまり、「アメリカへの従属」というよりも「米軍への従属」であり、しかも精神的にではなく法的にガッチリと抑え込まれているものである。

5.国家は密約と裏マニュアルで運営する
 占領期の米軍特権を維持するために「密約の方程式」が用いられる。つまり、
「古くて都合の悪い取り決め」=「新しくて見かけの良い取り決め」+「密約」
である。米軍関係者の犯罪については、日米合同委員会で「裁判権放棄密約」と「身柄引き渡し密約」が結ばれ、行政協定の条文が改善されても実態は変わらない。
岸信介の安保条約改定のウラ側では「基地の問題についての実質的な変更はしない」という基地権密約が結ばれていた。つまり、「地位協定」=「行政協定」+「密約」である。
日本が独立回復後も米軍に全面的な治外法権を与えているという矛盾を隠すために、国家の最も重要なセクションにそれぞれ裏マニュアルを必要とした。それは最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、外務省の「日米地位協定の考え方」の三つである。

6.政府は憲法にしばられない
 在日米軍の違憲性に関わる「砂川裁判」において、最高裁は統治行為論によって「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしなくていい」との判決を下した。これにより、「安保条約は日本国憲法の上位にある」ことが、最高裁の判例として事実上確定してしまった。条約は国内法より上位にあるので、条約の憲法判断をしないと安保条約は憲法を含む国内法の上位に位置づけられる。

 また、なにが「重大で高度な政治性」を持つ問題かは、議会で多数を持つ政権与党が勝手に決めていいように判決が書かれている。従って、政府が腹を括れば何でもできてしまう。日本国憲法に基づき、裁判で政府の暴走を止めることは、絶対にできない。米軍関係者だけでなく、エリート官僚を含む日本の支配層もまた、法的なコントロールの枠外に出てしまうことになった。

7.重要な文書は最初すべて英語で作成する
 日本の全面降伏を表わす降伏文書や昭和天皇の「人間宣言」、日本国憲法も、最初は英文で書かれた。憲法九条のルーツは次のとおりである。
大西洋憲章⇒連合国共同宣言⇒ダンバートン・オークス提案⇒国連憲章⇒憲法九条

8.自衛隊は米軍の指揮の下で戦う
 「吉田・アチソン交換公文」は「占領下の戦争協力体制の継続」を義務付けられたものである。吉田茂首相が米軍司令官と口頭で結んだ密約「指揮権密約」は、「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮の下で戦う」というものである。これは日本が完全な属国であることを意味するので、絶対に公表できないから密約にした。これは現在もそのまま生きている。
2015年の安保関連法の制定によって、「自衛隊の活動は国内だけ」という9条1項によるしばりも完全になくなった。その結果、「完全にアメリカのコントロール下にあり、戦争が必要と米軍司令部が判断したら、世界中でその指揮下に入って戦う自衛隊」という悪夢が、現実のものになろうとしている。

9.アメリカは「国」ではなく「国連」である
 戦後、日米間で結ばれたすべての条約、協定、密約を、具体的な条文レベルで次のように整理できる。
「米軍自身が書いた旧安保条約の原案」=「戦後の正式な条約や協定」+{密約」
軍事面から見た「戦後日本」の歴史とは、米軍が朝鮮戦争のさなかに書いた安保条約の原案が、多くの密約によって少しずつ実現されていく、長い一本のプロセスだったと言える。

ダレスは占領終結後も米軍が日本に駐留し続けることを法的に可能にするため、国連憲章43条を106条によって読み替える法的トリックを編み出した。43条は「国連加盟国は、国連軍に基地を提供する義務を持つ」というもので、106条は「国連軍ができるまでのあいだ、安保理の常任理事国である五大国は、必要な軍事行動を国連に代わって行っていい」という暫定条項である。つまり、国連加盟国を日本、国連安保理を国連を代表するアメリカ、国連軍特別協定を日米安保条約、国連軍を米軍に読み替えたものである。

アメリカの軍部によって植民地支配されている「戦後日本」という状態から脱却するには、きちんとした政権を作って日本国内の既得権益層(安保村)を退場させ、アメリカの大統領や国務長官に対して、「現在の日米関係は、朝鮮戦争の混乱の中でできた、明らかに違法な条約や協定に基づくものです。こうした極端な不平等条約だけは、さすがに改正させてほしい」といって交渉すればいい。
[2018/08/29 22:07] | 読書 | トラックバック(0) | コメント(0)
政治ウォッチング


政治が右傾化し民主主義が危うくなっている。主権者である国民は、日々政治の動向を監視するとともに、自ら学び、行動する必要がある。本ブログは、それらを実践する場としたい。

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本人=主権者として政治に関わり、代理人=議員・閣僚の言動・政策を監視する。

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